世界で活躍する留学経験者たち 梶田 裕介さん

世界で活躍する留学経験者たち

世界で活躍する留学経験者たち
梶田 裕介さん
三菱UFJ銀行ロサンゼルス支店
日系法人営業部(MUFG Union Bank, NA)
16歳の時、初めてアメリカの高校に留学して以来、在住歴は20年。大学卒業後、ニューヨークで8年間、その後ロサンゼルスにて勤務。現在カリフォルニアにご家族とともに暮らしていらっしゃいます。
父が外資系銀行員だったこともあり、よく出張でアメリカへ行っていて、いつも彼らの考え方、働き方、文化など、現地の話を父から聞いていました。だからでしょうか、アメリカは幼いころから身近な存在に思えました。学校の廊下に貼ってあったPIEE高校生留学プログラムのポスターを見つけてすぐに出願。日本の高校を飛び出して、非日常的な刺激を求めていたのもありますが「アメリカを自分の目で見てみたい」という好奇心が大きかったです。
私は英語が全くダメで、当時動詞とBe動詞の違いすら理解できていなかった。高校留学中はホストファミリーにお世話になりましたが、最初は自分の名前しか聞き取れず、何を言っているのか全く分からず、基本的なコミュニケーションですらかなり苦労した覚えがあります。
英語力がそれほど必要とされない体育の授業で活躍して人気者になるなど、友だちが徐々に増え、日常生活のコミュニケーションであれば不自由することがなくなっていきました。
高校留学帰国後、日本の大学のオープンキャンパスに参加して、授業を聴講したり、資料を請求したりしましたが、何となくしっくりこない。高校留学で培った英語が活かせる大学がいいと思うようになり、上智大学やICU、早稲田、慶應大学の国際関係の学科に興味を持ちました。日本にいながら授業を英語で行うというところに魅力を感じ、実際に見学をしたのですが、とても中途半端に感じました。授業を英語で受けたいならアメリカに留学すればいいと思いました。

高校留学の目的は異文化交流。勉強のプレッシャーはあまりありませんでしたが、大学は学位取得に必要な科目を修了しなければならなかったのが大きな違いでしょう。大学では成績が伴わなければ卒業できずに退学もありえる。正直どこまでやっていけるのか不安がありましたが「壁にぶつかるまで、行けるところまでやってみればいい」と考えられるようになり、いろいろ挑戦してみようと決めました。
最初は経済学を専攻していましたが、教授の勧めで、より専門的な会計学に専攻を変えました。とにかく挑戦でした。大学3年目のころ、無事に会計学の学位を取得できる見込みがたち、インターンシップや就職活動を始めました。会計学で卒業するのであればBIG 4 (E&Y, KPMG, Deloitte, PwC)で働くという目標を持ち、ニューヨークのE&Yから内定を得ました。
E&Yのニューヨーク支部に8年間在籍し、金融業界を専門とした監査やアドバイザリー業務をしました。その後に三菱UFJ銀行に転職。ニューヨーク支店で4年勤務後、ロサンゼルス支店に異動。同じ法人営業の仕事をいましています。常にアメリカ人の同僚に負けないように、そして首にならないように頑張って働いているうち、昇進していくつものチームを率いるようになりました。
親元を離れて、不器用ではあるが自分で困難を乗り越えていく経験―留学を通して「生きる力」と「自分で未来を切り開く力」が備わっていったのかもしれません。自分の限界は計り知れないということに若いうちに気づけた経験は大きく、現在の自分の強みにつながっています。日本の大学ではなく海外の大学に進学したことで努力は必要でした。しかしながら、失敗を恐れずに、また失敗しても諦めずに、本当にどうしようもない壁にあたったときは一旦引き下がって軌道修正すれば良い、という心の余裕が持てるようになりました。
ニューヨーク時代に結婚をして、現在は娘と息子に恵まれ、父親になりました。 人生のチャプターが変わっていくと挑戦の形や比重も変わっていきます。これからどのような試練が待っているか分からないですが、これからも挑戦を続けていきたいと思っています。